レースの

『調子どう』
通話口の向こう、彼の背後ではごうごうと唸るエンジンの音が響いている。そしてそれはこちらも同じだ。
「もちろんいいよ」
『それは残念』
発言は不穏でも口調は軽く、本気で言っているわけではないことはすぐに分かった。
明日のスタートに向けた作業はすでに切れ間なく続いている。チェック、調整、テスト、確認、またチェック。そして打ち合わせも。レース自体は明日だから時間の余裕はまだあるが、そうのんびり構えてもいられない。片手に持っていたモバイルを肩と顎で挟んで固定し、クリップボードの紙をめくる。
『…な、赤司、いま忙しい? 顔も上げられないくらい?』
「なんだ?」
言われるままに書類から顔を上げ、モニターや計器など機械類が並ぶその向こう、全体を見下ろせるように一面ガラスとなったマスタールームの反対側を見る。
マスタールームは環状になっている。配置は固定ではなくそのときどきで変化する。今回のレースで、洛山のマスタールームと向かい合うルームを使っているのは誠凛だ。
ちゅ、と耳元で音がした。視線の先ではガラスと空間、そしてまたガラスの向こうで降旗が左手の指先にキスをしたのが見えた。それからその指先をそのまま、赤司のほうへと向けてくる。
「――」
不意打ちに赤司が固まっていると、その間に先ほどの気障ったらしい行動はどこへやら、降旗は顔を赤くして横を向いてしまい、曖昧に崩された手だけをガラスへ突き出しなんでもないと言うように振った。
「いい度胸をしている」
『あっ、赤司が反応してくれないのが悪いんだろ! ひとりでこんなんやって恥ずかしい!』
「それは責任転嫁ではないか。君が自発的にとった行動だろう。それに少なくともモバイルを落とさなくてよかったと思う程度には動揺している」
『うん、分かった。赤司って驚いたりすると言葉数増えがちだよな』
「レースが終わったら覚えておけ」

レース中にハンドル以外の人が集まってる部屋があって、それはマスタールームと呼ばれていて、高い位置にピロティ式で作られてて下が見下ろせて、ガラス張りで環状になってるんだよ!
ってことを思いついたからそれが言いたいだけの小話(?)