エネルギーの話(昔書いたのをサルベージその1)

長くなるから分割で回収。

「いいもの見せてあげる」

同じ扉がいくつも並んでいる、その中のひとつを開けると中は書庫のようだった。さほど広いとは言えない室内には壁一面とそれ以外にも棚が並んでいて、棚のほかには人が一人通るのに最低限の、比率からすれば隙間と言っても構わないだろうと思う程度の導線だけ。
棚はどの段にもぎっちりとファイルが詰め込まれていた。西暦の書かれたインデックスもところどころに差し込まれている。
「ここは」
なんだこれ、と思っているとひかりが口を開いた。
「わたしがここで行ったすべての記録」
ひかりは入ってすぐ左手にある棚の前でしゃがみこんだ。一番下、もっとも古い西暦のインデックスが差し込まれているところからファイルを取り出す。
「同じ扉がいくつも並んでたでしょ。ここがわたし。隣が和花。その隣がレイラ。特別研究員には一人に一部屋、記録保管庫があるの。……わたしたちはここで過ごすすべての時間が観察対象だし、実験も膨大だから」
差し出されたファイルを受け取る。薄いわりにはずっしりと重いファイルだった。表紙の書き込み式のラベルには「2116.12.25〜12.31 Hikari」と書かれている。
「2116年……9、年前?」
「読めば、分かるよ」
せんぶ。
俺が読むのを待つようにじっと見上げてくる。窓のない薄暗い室内で、目だけが名前の通り光っているようだった。
いったい何の全部だろうと思いながら表紙を開いて、中表紙をめくりかけて手を止めた。
「これってお前のここでの記録全部?」
「うん」
「ってことはプライバシーじゃねえの?」
これは予想外の返しだったようだ。考えもしないことを言われたという表情でぱちりとひとつ瞬きをして、一瞬子供らしい笑みを形作る――かと思えば、いつものような生意気な顔でばーかと罵りを受けた。
「本人が読めって言ってるのに何言ってるの」
あまりのいつも通りっぷりにかちんときた。
「いいものを見せてあげる」と言った時からどこか普段と様子が違うように見えたから気を遣ったというのに。そもそも自分をここに連れてくるのに周囲の大人に確認を取っているあたり、重大なものだと思ったのに。この程度で「損をした」と思うのはあまりに人間が小さい。小さいが、思ってしまいたくなるのも心理としては間違っていないだろうから許されたい。
「そーかよ」
今度は遠慮なく中表紙をめくった。めくって一枚目は報告書。表題は『24日深夜に発見、保護した乳児について』。タオルやブランケットに包まって眠る赤ん坊と、施設沿いの道路の写真が添付されていた。
反射的にひかりを見ると、なんでもないことのように「ここ暗いから別のとこ行く?」と言った。
「あ、……いや……いい……大丈夫」
「そー」
……発見日時は2116年12月25日深夜0時30分ごろ……施設東側の歩道沿い……植え込みの根元に……氏名不明……生後日数不明……おそらく一歳未満とは思われる……外見性別はF……直ちに保護並びに警察へと連絡……放置されてから間もないものと思われ……低体温などの症状は見られず……。
「見つけたのは本間さんだよ」
手近のファイルを一冊手に取り、それを適当にめくって懐かしそうに眺めながら言う。
「ジャンケンで負けて買い出しに出たんだって。そしたら見つけたって」
少しページを飛ばして、ファイルの中ほどを開いた。安らかに眠る赤ん坊の写真。健康状態問題なし、経過順調という文字にほっと息を吐いた。
訊きたいことはいくつもあった。けれどそれをストレートに尋ねるのは憚られた。気になるからと当人に問いかけるのはどう考えてもいいマナーではないだろう。訊いてもいいかと質問の許可を得ることさえ、とてもじゃないができかねる。
胸の奥に鉛を置かれたようだった。重くて苦しい。
たぶんね、とひかりが言った。顔を上げてそちらを見る。ひかりは視線をファイルから離さない。
「若くして産んだとか、結婚とか仕事とかで邪魔だったとか。もしくは、ほら、この症状。やっぱり怖いでしょ。自分の子供がいきなり発火したら。理由なんて分からないし、内臓の病気? 皮膚の病気? ってどこ疑っていいのか分からないし、だからどこに連れて行ったらいいかも分からないし」
OEの人が身近にいないと当然知らないもんねと言うひかりは、声も表情も変化することなく淡々としていた。

以前ちょろっと書いたこれの前の話。ひかりと雛井くん。
主人公・雛井くんの性格がちょっと変わりました。ひかりは熱の子です。和花は電気の子、ライラは地力の子、本間さんはなにかと運のない研究者。専門は…力学みたいなものだろうか……。

追記
ちょっと未来の話のイメージなので、少しいまとは違います。この話の中の世界は四季がずれてて、長年正しいと思われていた地動説が、実はちょっとした数字の間違いから誤りで、本当は天動説が正しかった、という感じ。四季は夏冬が長い。だいたい4〜5月が春、6〜9月が夏、10月が秋、11〜3月が冬。
さりとて人間の営みとしてはいまと大差ないイメージです。車は地面を走るし高校は3年間だし洋服は自分の手で着る。

ひかり=熱能力の小学校低学年女子、俺=雛井=主人公、本間=地力の子の担当者