書き(書け)もしないのに妄想ばかりしている

うんめいの人:小学6年生(12歳)薬研と26歳社会人長谷部の現パロ駆け落ちネタ。
タイトルどおり「運命の人」を主軸に駆け落ち(逃避行?)しながら薬研と長谷部が持論(※妄想)を展開する話。

薬研は膝の上に広げた駅弁をおいしそうに食べていた。
「どこへ行きたい」
路線を選んだのは長谷部で、方向を選んだのは薬研だった。都内の夜のまぶしさが少しずつ遠ざかっていく。
「温泉のあるところがいいな」
「いいな」
「あと、……遊園地行きたい」
顔を上げて長谷部を見、快活に要望を述べたと思ったらすいと視線が下に戻される。どうしたのかと思えば、少し小さな声で遠慮がちに言う。
「遠くの、俺たちのことを誰も知らない遊園地で、長谷部とちゃんと、恋人として」
デートがしたい、と言うのに胸がぐっとつまった。

メールを送ろうと燭台切のアドレスを呼び出してやめた。フェアではないと思ったのだ。
『家の都合で1週間ほど休みをもらいたいと伝えてほしい。』
そう打とうとして、1週間で元の生活に戻るだろうと考えている自分を知ってしまった。
無計画で捨て鉢で、そんな薬研にしばらく付き合って、頃合いを見てなだめすかして言い聞かせて説得して。
そうではない。これは逃避行なのだ。長谷部は子どもではない。薬研に誘拐されたわけではない。遠いところへ行くと決めたのは2人の合意だ。
指先一本、メールの一通で逃げ道を作って薬研に向き合うのはまったくフェアではない。そんなものは大人のずるさだ。薬研は長谷部の隣でこんな、こんなにも心を硬くしているというのに。
メールの画面を消して、それどころか電源ごと落として、長谷部はスマートフォンを薬研に差し出した。
「電源は落とした。――お前が持っていろ」

「子どもは運命の人を選べないんだ」
薬研は言う。
「運命の人だのなんだの言うのは大人ばかりだろう。それは、子どもはよく言えば庇護の下、悪く言えば振りまわされるからだ。子どもが運命の人に出会ったとしても、大人という周囲の後ろ盾がなければなにもできない。子どもが運命の人に出会ったらどうしたらいいんだ」
「……」
「子どもは運命の人に出会わないというのか。子どものときにで会ったらどうしたらいいんだ。大人になるまで待つのか。その間に状況が変わってしまったら、運命の人と離れてしまったら」
「……」
「『まだ小学生だろう』って、……小学生で運命の人を見つけたらいけないのか……」

燭台切さんでもいいかと思ったけど、彼はそういうところは割と常識人で周囲に流されない人かなと。

タイトル未定:黒田大学経済学部に通う長谷部とギフテッドの博多くんが年齢を超えた友情を交わす話。
一般教養では単位交換制度を使ってたまにご近所の細川大学文学部の歌仙が遊びにくる。

「……子どもがいる」
「同じ大学同じ学部でなぜ知らなかったのか不思議だけれど、彼は正式な学生だよ」
「小学生じゃないのか」
「ギフテッドだ。国と学校が認めた正式な飛び級だ」
年齢は確かに10歳くらいだが。と歌仙は言った。