実はそうと知らずに出会っていたらの話

あいつを思い出すときに最初に浮かぶのは1枚の絵だ。
広い真っ白な空間に大きくてカラフルな鱗の魚の絵が浮かんでいる。ただし絵と言ってもその魚の絵を思い出すのではなく、白い大きな空間にカラフルな魚を見つめて佇むあいつ、という俺の視覚というキャンバスの絵を思い出すのだ。
奥まった展示室のさらに奥の壁に、展示室内に唯一掲げられたカラフルな魚を見つめる後ろ姿。美術館の展示室としては珍しく設けられた高い位置の窓から差し込む光と照らされた展示とまっすぐ伸びた背筋が、俺のあいつのファーストインプレッション。
魚の展示は来場者参加型の展示だったようで、カラフルな鱗は雫型に切り抜かれ、来場者のメッセージが書き込まれた色とりどりの画用紙だった。あとで知った。
展示もあいつも気になったけれどその空間を侵しがたく思った俺は、近くの展示に見入るふりをしてあいつの動向をちらちらと伺った。なにをしているのだろうと伺っているとあいつは画用紙の鱗とペンを取り、短い言葉を書いて、魚の隅っこに鱗を貼り付けた。あいつが展示室を出たあと俺も入って、魚のしっぽの前に立った。まだインクが鮮明な鱗を探すとたったひと言のそれはあった。
「そばにいられますように」
ほかの鱗には来場記念の日付と美術館へのコメントが書かれたものが多く、次いで多そうなのが絵馬のように願いごとが書かれたものだった。しかしそれはいずれも子どもの健康祈願や恋人との縁の継続に願う具体的なものが多い。あいつの書いたもののようにあっさりと抽象的なものは見当たらない。
「そばにいられますように」…誰と? それともなにと? 俺は不思議と、しかし大いに興味をそそられた。同年代の同性なんて願望も欲望も山とあるものじゃないか。それなのにこの、簡潔なたったひと言。俺もペンを取った。
「知りたい」
あいつに倣ってそれだけを書いて記名もせず、薄赤色の鱗をあいつの貼り付けた隣に貼った。

降旗くんが、赤司征十郎赤司征十郎と認識して別の場所で一度会っていたら。
しかしこの降旗君はまだバスケをしていないので赤司征十郎がキセキとは知らない。
時期的には中学3年の晩春〜初夏くらいかな。