校正もほとんどいらなかった驚き。
過不足ないってすばらしいな。
表現に過度な装飾がない、淡々とした文章が好きだけど、いざ自分で書くとあっさりしすぎて味気なさすぎて、そもそも過度な装飾をしないことが難しくて……。

以下、今回のメモ

■生きている人間がいちばんこわい派ですが、その次にこわいのは得体の知れないものです。直接的な影響がなくても、理解できないのは不気味でこわい。得体が知れない=理由・原因が分からない=理解も対処もできない。だからおそろしい。…ので、洛山スタメンのみなさんにも経験してもらいました。

■実体験かというと当事者ではないのでハテナがつきますが、いままで経験した中で最もホラーらしいホラーは中学2年で行った林間学校でのできごとです。
林間学校2日目の夜、レクリエーションとして肝試しがありまして。沼にほど近い宿泊施設の周辺ルートを男女混合の班でぐるっとまわるだけの肝試しでした。
学年全員なにごともなくレクとしての肝試しを完了し、あとは寝るだけと宿舎に戻り、点呼を待ちながら部屋で自由時間をすごしていたときです。部屋の外が急に騒がしくなりました。教師の声や友人の声などが聞こえ、それも怒号や泣き叫ぶような声だったりしたので、部屋中の全員が「えっ」という顔をしていました。
なにが起こったのか分からず顔を見合わせていると、ばたばたと教師が駆け込んできて、必死な形相で「絶対に部屋から出るな!」と怒鳴り捨てて開けたドアをビシャン! と強く閉め、またどこかへ走って行ってしまいました。
昔の田舎の学校なので教師の言うことは絶対。見に行くどころかドアを開けて覗くことさえせず、時間になってもこない点呼を待ちながら全員、自然と近くの誰かに寄り添ってひそひそこそこそと話をしていました。
しばらくたって、ようやく教師が誰かを連れて部屋にやってきました。そろっと細くスライドドアを開けて、一度こちらを覗き込むようにしてからドアを開けて、うしろの誰かにその場所を譲りました。誰かは全員の顔を順番にすべて見て、「ああ、この部屋の子はみんな大丈夫だね」と頷いていました。
事情を説明されないまま「大丈夫」の太鼓判をもらったわたしたちは首をかしげながら点呼を受け、そのまま就寝しました。
当事者ではないのですべて伝聞になりますが、隣のクラスで「憑りつかれた」子が出たそうです。その子は点呼待ちの自由時間、急に立ち上がって、宿泊施設でもっとも沼側の食堂に向かったそうです。友人が止めても聞かず、腕をつかんでも止まらず、最終的には男性教員3人がかりでようやく抑え込んだとか。
沼へ向かおうとした子以外にも、別のクラスで数人、気分が悪いと訴えた子や様子のおかしい子がいたみたいでした。
学校や教師から特別箝口令が敷かれたわけではありませんでしたが、自然とわたしたちの学年でこのできごとはタブーとなり、内部的にも外部的にも口をつぐみ、話題に出すことはほとんどありませんでした。憑りつかれた子や具合が悪くなった子に話を聞くことも、彼女たちが自主的に話すこともありませんでした。
わたしは沼へ向かおうとした子と同じ町内に住んでいて、帰り道で一緒になることもありました。そんなとき少し様子をうかがうと、うなじから背骨にかけて、なにかまじないを書きつけたらしい黒いあとが残っていました。
2クラス合同体育でよく準備体操のペアを組んでいた友人にも、ストレッチのときに同じ場所に同じ黒いあとがあるのを見ました。
わたしたちの学校が帰った翌日以降も、市内の複数校が林間学校を行い、レクとして肝試しを行う予定だったらしいのですが、これ以降は一切禁止。その年だけではなく、翌年も、翌々年も、その宿泊施設を使う市内の学校で、すべて。高校に入学してから市内の別中学に通った友人や後輩から聞きました。
宿泊施設近くの沼は、田舎の山頂の沼という場所柄なのか、よく遺体が捨てられてニュースになっています。わたしたちの学校が宿泊施設を利用する1週間ほど前にも、沼で女性の遺体が上がったという話がありました。
林間学校前は「っていうことがあったらしいよ」と言い合い、きゃあきゃあと笑いながらこわがっていましたが、いまは、いまでも、10年以上たっていても、わたしは、その沼に関するホラーは噂話でもできません。