おだて組がわちゃわちゃしてるのかわいい。みんなキャラ違ってとてもいい。

僭越ながら、ごあいさつ申し上げます。
一歩ずつ春に近づくこのよき日、特務320課程の皆さんが全員揃って課程を修了することにお祝い申し上げます。
皆さんはこれから、いわゆる"審神者"の任に就き、それぞれの任地へと旅立っていくこととなります。旅立ちにあたり、私からはひとつ昔話をさせていただきたいと思います。

――いまから約200年前だ。皇紀2865年の前後、この国であるブームが起こった。
とあるきっかけで沸き起こったブームは、研究と探索を活発にし、あるとき、失われたと断言されていたひと口の刀剣を発見する。

ひとつの発見に気運はさらに高まり、研究と探索は続いて広がり、また次なる失われたひと口を見つけた。
それは失われた刀剣そのものであったり、またはその伝承の元となった刀剣を。

君たちはここで多くの知識を得、学び、習得したことと思う。
こんなことを言うと教師陣には嫌な顔をされてしまうだろう。けれど、それらの知識や技術は一旦しまい込んでほしい。
失われた刀剣を発見したのは、技術でも知識でもなく、熱意という感情の行動だった。

彼らは付喪神、神である。しかし恐れることはない。へりくだり、畏まることはない。永きに渡って人の間に有形無形を問わず存在し、魂を持ち、意思を持ち、ついには肉体を持つに至った。
感情があり、つなぐ手があり、伝える言葉を話す。――君たちと同じに。
君たちはこれから、初期刀を選び各自の本丸へ就く。彼らをどうか、パートナー、新たな友を得たと思ってほしい。
気難しいものもいるだろう。けれど心配はいらない。
人に作られ人と生き、人の間にあって人のために働いた彼らに、心底から人を憎み嫌うことができるだろうか。
声をかけ、彼らに関わって寄り添い歩んでいってほしい。友人ができる過程と変わらない。

どうか暇でいてほしい。君たちが暇であることが、平穏の証だ。
――友人を大事にしてください。旧友も、新たな友も。皆さんの前途が明るいことをご祈念申し上げ、まとまりませんがあいさつとさせていただきます。本日は誠におめでとうございました。
皇紀2XXX年3月XX日、備前国長船が光忠――燭台切光忠

来賓祝辞として最後に登壇した人を見て、誰もが目を見張り息を飲んだ。
彼は周囲の驚愕には頓着せず、堂々とした姿勢であいさつを述べた。

無事にあいさつを終え、他の来賓のようには降壇せず舞台袖にはけた。舞台袖は暗いが、ぎりぎりの場所で見守っていた面子の表情くらいは檀上から舞台袖に漏れる光で見える。
完全に正面から見えない位置へ引っ込むと、高く低く、四方から遠慮のない手が伸びてくる。その手が背や肩や腕を軽く叩いて光忠を褒め、励ました。

↓のやつを書き散らし。
こういう、2205年から後年に技能課程として某A大学校的なところに整備された320(さにわ)課程の修了式であいさつする光忠のネタを書きたい。
よしだしげるの第一回某A大学校卒業式での訓示(祝辞じゃないんだー)を一部引用しつつ。
光忠再発見の流れは、未プレイでも門外漢でもぐっとくるものがあった。

メモ:人が人を動かし、民意が国を動かし、予算と人員が割り振られ、