単発ネタ(昔書いたのをサルベージその6)

電車で偶然再会する、学生時代の(特別仲がよかったわけではない)クラスメイト。

結婚式から数週間後、偶然銀行で彼女と会った。
僕が新婚生活はどう、と訊くとうん、と返ってきた。そのときの彼女の顔は既に黛さやではなく、白石さやの顔をしていた。
彼女が返したうん、という返事は肯定でも否定でもなかったけれどとても幸せそうなほほえみだったので、今日も明日も明後日も、彼女がそんな白石さやのほほえみをたたえていればいいと思った。

偶然出会った僕・鰐淵氏と彼女・黛さやの何気ないやり取りとか、旧友のみに感じられる感傷みたいなのを書きたいなぁ、と思っています。あとは鰐淵氏の据え膳食わぬは武士のプライドな心持ちとか相手をいちばんに思って行動を取れるやさしさと残酷さとかさやの真っ青なマリッジブルーとか。
題名も…ちゃんと決めたいな…

新郎新婦の知り合いがビールやシャンパンやカメラを持って前に集まっている。オレンジ色のふわふわしたドレスを着た黛はその中心できれいに笑っていた。
周囲にまぎれるようにシャンパンの瓶を持って前に行き、「黛」と声をかけた。
「おめでとう」
「ありがとう」
中学のときの知り合いといえば、彼女の幼馴染の女の子しかいなかったから僕はなんとなくいづらかった。それを正直に伝えると彼女は少しだけいたずらっぽく笑ってから、こんな日なのに物騒にも「幸せに犠牲はつきものでしょ?」と言った。
「俺が犠牲?」
にこりといっそう楽しそうに、きれいに笑った表情が答えだった。次から次に注がれるけれど、衣装直しやスピーチなどでまったく消費されないグラスの中に少しだけシャンパンを注いだ。注がれて沈んでから上昇して、きらりと輝いてはじける泡は誰にも止められない。時の流れや感情に似ている。
時の流れは誰にも止められないし、感情は誰にも操れない。泣いたって笑ったって。怒ったって悲しんだって、その感情を抑えることはできないしそうしているうちにも時間は過ぎていく。
「……鰐淵くんにはみっともないところばっかりかも」
それには答えないでおく。みっともないところかどうかは、主観によるだろうから。僕はそういう風に、思ったとおりに感情が動かないことなんて当たり前のことだと思うから別にみっともないとは思わない。
おめでとう、ともう一度言う。
「白石になるんだっけ? これで、名前を初見でもちゃんと読んでもらえるな」
級友のとき、彼女は何度言っても正しく苗字を覚えない教師に怒ったようにまゆずみです、と言っていた。自分はそのときだけのものだと諦めてしまっていたけれど、彼女は何度も、何度も。
「やーだ、覚えてたの?」
「黛、恰好よかったから」
背筋の伸びた姿勢、教師相手にも毅然とした態度で名前を訂正していた彼女は確かに恰好よかった。気の強い空気はそのときからまとっていたような気がする。おそらく、それは生まれついてのものなのだ。正しくないことを正しくないと言える性格。
「鰐淵くんも恰好よかったよ。あのぐらいの年齢の子って、周りに流されちゃう子が多いのに、鰐淵くんは1人でも正しいことを正しいって言ってた」
大人になった今、正しいことを改めて正しいという必要は、そう多くはない。正しいことなら誰でも分かる。正しいことは正しいこと、ただし正しくないことも正しいことになってしまう。正しくないことを正しくないということは、なぜだかひどく難しい。だから僕は黛の方が恰好いいと思っている、今も。正しくないことを正しくないといって拒否できる彼女は恰好いい。
「相棒以上恋人未満」
「なにそれ」
南海キャンディーズのデビュー当時のキャッチフレーズ」
「……好きなの?」
「ううん、ちょっと思い出しただけ」
まっすぐな視線で僕を見る。鋭い、正しくないことを正しくないとはっきり言い切れるその瞳で。
「ありがとう。鰐淵くんは私にとって級友以上旧友未満だと思う。あのとき寝てたら私、今日ここで笑ってなかった」
「末永く幸せに」
本当に、心からそう願った。

南キャンのキャッチフレーズはどこで見たんだっけなぁ…?
てゆうか、鰐淵くん何者?(自分で書いておいて!)(目標は沢村さんとか真田隊長とかやさしすぎたり熱心すぎたりして逆に残酷な人)
そんなことよりも、日記を書こうと思ってページを開いたのに何で書いちゃうかなぁ!しかも最近2冊続けてライトノベルだからそれっぽいし!

この感情に、あえて名を付けるのならば惜別だろうか。それとも哀別か。
自分が知っている彼女はもういなくなってしまった。僕が知っている黛は、黒髪をふたつに結って標準丈の長いスカートの裾を邪魔そうに蹴りながらも決して短くしたりしない女の子だった。授業中だけではなく、防具を着ける姿勢さえも真っ直ぐで、その姿勢はまるで性格そのもののようだった。自分の名前だけがアイデンティディだとでも言うように、読めない人間、間違えて読む人間、アクセントが違うだけでも訂正をしていた。教師だろうと、友人だろうと、先輩だろうと。同じく難読名字の自分にはその姿はとても恰好よかった。特に先輩に訂正を強いる彼女は、教師や友人に言うときよりも心持ち顔を引き締めていた。その感情は分からないでもない。ある意味、教師に言うよりも緊張する。一度見ただけだったけれどそのときの横顔はとてもきれいだった。
再会した時には、長いスカートの裾を蹴っていた彼女はおらず、黒髪をふたつに結っていた彼女もいなかった。再会した時に僕が知っている彼女がいたのは、名前だけだった。彼女の名前が黛さやだということしか、僕は知らなかった。
変わるのも当然だ。変わらないほうが驚く。
姿かたちは経年で変化するのが当たり前で、名前も結婚すれば簡単に変わってしまう。
けれど、結婚し、黛から白石になった彼女の中に僕が知っている部分はもうなくなってしまった。
憧れていたのだと思う。
同学年や後輩にきびきびと部活の指示を与え、周囲からも部長としてそれなりに頼られていた。教師にも先輩にも名前の訂正を求めていたあのきりりとした表情。どちらも自分ができないことだったから、単純にすごいと思い、そうなりたいと考えていた、無意識に。
そんな彼女はもういないのだと、今日いなくなってしまったのだと。そう思うから、この気持ちは惜別か哀別なのだろう。
姿かたちが変わろうと、名字が変わろうと、彼女の内面、性格は簡単に変わったりしないだろう。三つ子の魂百までと言う。けれど、なんとなくそう思うのだ。理由らしい理由はないけれど。
憧れていたよ。尊敬していたよ。黛のようになりたいと思っていたよ。
黛さやとの別れを悲しむ。
黛さやとの別れを惜しむ。
引き出物が入った大きな紙袋が重い。ちょうどよく酒の廻った体が冷たくなり始めた秋の風に吹かれてゆっくりと冷えていく。
弔いといったら縁起でもないけれど、煙草が吸いたくてたまらなかった。
普段はまったく吸わない煙草を、闇夜にぼんやりと浮かび上がるコンビニで買って、一緒に買ったライターで火をつけた時にああ、と思った。弔うのは黛さやではなく、僕の感情だ。

黛(白石)さやの結婚式披露宴後の鰐淵くん。…鰐淵くんは1つ掴むと1つ分からなくなります……難しい人だ…好きなのか好きじゃないのか分からない!……や、…好きじゃなのは確実なんですけど…表現としては曖昧な感じ…